「家族に遺言せよ。おまえは回復せず、死が近づいている」(イザヤ38,1)
聖アルフォンソ・デ・リゴリオ司教教会博士
7.救霊をなおざりにして死を想わないで生活した臨終者の抱く感情
②瀕死の罪人の空頼み
あぁ、死の時、信仰の諸真理は、どれほど明白に現われるでしょうか
しかし、悪い生涯を送り続けた人にとって
それは、この上もなく大いなる悩みの種となるのです
特に、神に身を捧げた人々にとっては、なおさらです
なぜなら、このような人々は
神に奉仕する様々な便宜や多くの時間を有していて
良い手本に接する機会も多く
より多くのインスピレーションを受けることができえたからです
彼らが、神の御前で、熟慮の末に
「自分は、他人を責めておきながら
その他人よりも、多くの悪をなしてしまっていた
世を棄てて奉献生活に入っていながら
この世の快楽、虚栄、誘惑を探し回っていたのだ」
このように白状しなければならない時
彼らはどれほど大きな苦悶をおぼえることでしょうか
これらの修道者たちは
神が自分に恵まれた光明をもってすれば
異教の人々でさえも聖人となりえたであったに相違ないと思い至る時
どれほど激しい良心の呵責にさいなまれることでしょうか
最後に、自分が信心業を軽視して
他の人々がこれを重んじているのを見て
鼻で笑ったり、女々しい者だとなじり
その一方で、傲慢や自愛心に好都合な
世俗的格言を自分が重視していたこと
苦しみを避けて、あらゆる気晴らしにふけることを追及していたこと
これらのことを想い出して、どれほど苦しい思いをいだくことでしょうか
死の時、私たちは
今まで、空費していた時間を、どれほど欲しがることでしょうか
聖グレゴリオは、その『対話』の中で、次のように物語っています
かつて、金持ちで不品行なクリザンスという人がいました
この人は、最後の時
悪魔が群れをなして自分の霊魂を捕らえに来たのを見て
「明日まで待ってくれ!頼むから時間をくれ!」と叫びました
すると悪魔たちは、口々にののしって言いました
「アホなことを言いやがって
おまえは、我々に時間を求めるのか?
そもそもお前は、その『時間』を使って悪を犯してきたんだ
今さら時間を要求したところで、もう残ってなんぞいないんだよ」
悪魔のののしりを聞いて、この人はなおも叫び続けました
そのそばには、その息子マキシムがいました
マキシムは修道者になっていました
瀕死のその人は息子がそばにいるのを見て叫びました
「私の子よ、私を助けておくれ
あぁ、親愛なるマキシムよ、私を助けろ!」
このように叫び、火のように顔を赤らめて
床の上で狂ったように暴れ出し
そして、最期の痙攣と絶望の叫びと共に
彼の不幸な霊魂は、肉体を離れていきました
あぁ、この種の愚かな人々は
生涯の間、どれほどの情熱をもって、その悪徳に執着したことでしょう
しかし、死に臨んでは、彼らは目を開き
自分たちが、いかに愚かな者であったかを白状するのです
それでも、その時はもはや過去を償う望みも、ますます失うばかりなのです
そして、そのような状態で死ぬならば
その永遠の救いに関して、甚だしい不安と喪失感を残すのです
兄弟姉妹よ、あなたたちは、この話に目を通して
「それは事実なのだろう」と考えるでしょう
しかし、これが事実であるなら
これらの真理を知っていながら
時間があるうちに、これを善用しないのは
まことに甚だしい狂気であり不幸なことではないでしょうか
そして、死の時には
あなたがこの文面を読んでいたこと自体が
苦しみの剣と変わりえるのです
ですから、悔い改めに心を開きましょう
今はまだ、このような恐るべき死を避けることができます
その悔悛の機会を逸することなく
悔い改めの業に取り掛かりましょう
好機を逸してしまわないようにしてください
またの機会、来週、来月などと先送りにしてはなりません
「もし、今日、主の御声を聞きえたならば
あなたたちの心を頑なにしてはならない」
神が、その憐れみをもって
今、あなたに送っているこの光明は
改心の最後の招きでない、と誰が断言できるでしょうか
私たちの死は確実であり
私たちの永遠の運命は、これに左右されるのです
愚かなことは、死が訪れることを把握していながら
これについて準備をしないことです
今、死の時になってなすに違いないことを想いめぐらし
その折に立てるに違いない決心を、今、立てるべきです
ある貴族が、神への奉仕のために
宮廷生活を棄てて、カール5世のもとを去る前日
皇帝は彼に「なぜせっかくの栄華を棄て去ってしまうのか」と尋ねました
すると貴族はこれに答えて言いました
「霊魂の救いを得るためには
不道徳な生活を棄て去り
死ぬまでに誠実に償いを果たしていかなければならないからです」