カテゴリ: 聖霊~愛と生命の息吹~

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Eucharistic Devotion, the Fountain of the Catholic Faith
カトリック信仰の源泉☆エウカリスツィアの信心

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聖霊の妻である幸いなおとめマリアは キリストの神秘体の御母



幸いなおとめマリアは、
聖霊によって、教会をみごもり、教会を産みました

というのも教会は、
『キリストの神秘的なからだ』だからです


神の御子の霊、キリストの霊である聖霊を受けた
キリストの神秘体の肢体である信者は誰であれ
父親に神をもち、母親にマリアをもちます

それは、私たちが、主キリストの神秘体の肢体だからであり
かしらである主が、マリアに「母よ」と呼びかけるのに、
肢体である教会がマリアを母として認めないのは不自然だからです


「私たちの父よ」と呼びかける御子の霊を受けたものは
「私たちの母よ」との呼びかけを、マリアに向けるのです

これは、永遠の御父が、ご自分の最愛の娘としてマリアを選び
永遠の御言葉である御子が、ご自分の最愛の母としてマリアを選び
永遠の愛である聖霊が、ご自分の最愛の妻としてマリアを選ばれた事実に基づくものであり
主キリストの十字架上での遺言的啓示における「これがあなたの母だ」との御言葉に基づくものです


私たちの救い主イエズス・キリストが
その聖なる御母マリアの処女的母性愛において、
聖霊の愛の抱擁のうちに、神秘体のかしらとして形造られたように、

キリストの神秘体である教会も、
その聖なる御母マリアの処女的母性愛において、
聖霊降臨における神の愛の抱擁のうちに、神秘体の肢体として形造られました。

この世界に救いをもたらす神の国を始める神的配慮によって、
幸いな御母マリアと信者たちにおける、その超自然的親族関係は、
三位一体の神の聖なる名による洗礼を通じて、世の終わりまで増長し、
聖霊降臨の秘跡である堅信を通じて、一層強められます。


幸いなおとめマリアは
主キリストの受肉の神秘に深く結ばれ
ナザレトの隠れたご生活のうちに、日々の生活の聖化を学ばれ
その公生活の初めに、カナにおいて取次ぎ手であることを示され
十字架上の主キリストから、キリストの神秘体である教会の御母となるよう託され
聖霊降臨において、キリストの神秘体である教会を、言わば、この世界に産み出されました
その聖霊における神秘体の肢体の誕生は、今もなお全世界において続けられています✿


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アクィレイアの聖クロマティウス司教


教会は、イエズスの御母マリアと、主の兄弟たちと共に、高間において一致していました。
したがって教会は、主の兄弟たちと共に、私たちの主の御母マリアを含むものでなければ、
教会とは言えないでしょう。



聖ヨゼマリア・エスクリヴァ司祭


聖母への信心は、
父なる神の、救いの御旨への信仰に由来し、
本当の人間となり、女から生まれた神である御子への愛に由来し、
恩寵を与えて人を聖化する聖霊への信頼に由来し、生まれたものなのです。

マリアをお与えになったのは、神ですから、
聖母に背を向けることなどできるわけがありません。

私たちは、子供としての愛と喜びのうちに、
聖母によりすがるのです。



フランツ・ミヒェル・ヴィラム司祭


五旬祭の日、聖霊降臨と共に、救世史の第3章が始まりました。

聖書はこのことを、時の終わり、時の充満と言い表します。

聖霊降臨の立会人の中に、イエズスの御母マリアがいました。

マリアは、
イエズスにおいて、イエズスを通して、
その神的生命に与かる人々にとって、
新たな超自然的親族関係を形成する人々にとって、
霊的母となられたのです。

これは、聖霊降臨に始まり、
世の終わりまで続けられます。

天の御父は、
マリアの御子イエズスが、その神的遺言をもって、
マリアの子らとして優しい母性愛で保護しなさい、と推薦した救われるべき人々を、
聖霊の派遣において、マリアに賜わられたのです。

聖霊は、特別な教会の成員であるマリアに、
彼女を全てのものの御母、キリストの神秘体全体の御母とする、
いつくしみ深い愛で満たされたのです。

聖霊は、その降臨の時、
神の右に座す人類の仲介者イエズスの御母であるマリアに、
若い教会を託したのであり、
教会は、人間に関する限り、マリアご自身において開始されたのであり、
聖霊は、教会を、マリアの愛に委ねたのです。

こうしてマリアは
教会の母性的愛の心臓となった、と言い得るのです。



Veni, Creator Spiritus
部分免償


Veni, Creator Spiritus, Mentes tuorum visita,
Imple superna gratia, Quæ tu creasti pectora.

創造主である聖霊よ、きてください。あなたのものである人々の心を訪れ、
あなたが造られた胸を、天上の恩寵で満たしてください。

Qui Paraclitus diceris, Donum Dei altissimi,
Fons vivus, ignis, caritas, Et spiritalis unctio.

あなたは、慰め主、至高の神の賜物と呼ばれ、
生ける泉、炎、愛徳、霊的注油と呼ばれる御方です。

Tu, septiformis munere, Dextræ Dei tu digitus,
Tu rite promissum Patris, Sermone ditans guttura.

あなたは7つの賜物の与え主、あなたは神の右手の指、
あなたは御父からの正しい約束として、のどに語るべき言葉を与えてくださいます。

Accende lumen sensibus: Infunde amorem cordibus :
Infirma nostri corporis Virtute firmans perpeti.

私たちの感覚に光をともし、私たちの心に愛を注いでください。
私たちのからだの弱さを、絶え間ない力で強めてください。

Hostem repellas longius, Pacemque dones protinus :
Ductore sic te prævio, Vitemus omne noxium.

敵を遠くに退け、ただちに平和をお与えください。
このようにあなたが先立って導き、有害な全ての罪を避けさせてください。

Per te sciamus da Patrem, Noscamus atque Filium ;
Te utriusque Spiritum Credamus omni tempore.

あなたによって御父を知り、御子を認め、
両者からの霊であるあなたを、いかなる時も信じさせてください。

Sit laus Patri, cum Filio, Sancto simul Paraclito,
Nobisque mittat Filius Charisma Sancti Spiritus.

賛美が御父に、御子に、聖なる慰め主にもありますように。
御子は私たちに聖霊のカリスマを送られます。

Gloria Patri Domino, Natoque qui a mortuis
Surrexit, ac Paraclito, in sæculorum sæcula. Amen.

栄光が主である御父に、死んで復活された御子に、
慰め主であるあなたに、世々に至るまでありますように。アーメン。


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天来の聖霊に満たされた信者は
福音書にあらわれた天使の挨拶の模範に支えられ
また、聖霊に満たされたエリザベトの挨拶の模範に支えられ
また、キリストによる「これがあなたの母だ」との遺言的啓示に支えられ
キリストの霊である聖霊の燃える愛に促され、孝愛に駆り立てられて
キリストの御母であり私たちの御母である幸いなおとめマリアに向かい、天上的挨拶を繰り返します☆


Beata Virgo Maria, Mater Mystici Corporis Christi, ora pro nobis.
幸いなおとめマリアよ、キリストの神秘体の御母よ、私たちのためにお祈りください。


Ave Maria,
gratia plena, Dominus tecum.
Benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui, Iesus. Qui Spiritum Sanctum misit.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,  
nunc, et in hora mortis nostrae.   
Amen.  

アヴェ・マリア、
恵みに満ちた御方、
主はあなたと共におられます。
あなたは女のうちで祝福され、
御胎内の御子、聖霊を派遣された御方であるイエズスも祝福されています。
神の御母、聖マリア、
私たち罪人のために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。


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DOMINICA PENTECOSTES (MISSALE ROMANUM 2002)
聖霊降臨の主日(通常形式公式祈願) 
Ad Missam in Vigilia


Omnipotens sempiterne Deus,
qui Paschale sacramentum quinquaginta dierum voluisti mysterio contineri,
praesta ut gentium facta dispersio divisione linguarum
ad unam confessionem tui nominis, coelesti munere congregetur.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.


全能永遠の神よ、
あなたは五旬祭の日、
過越の秘蹟の神秘のうちに全てを包み込まれることをお望みになりました。
私たちはつつしんで願い求めます。
異なるコトバのうちに散らされた諸国民が、
あなたの御名を告白するものとなり、
天上の賜物のうちに、1つに集められますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。



Praesta, quaesumus, omnipotens Deus:
ut claritatis tuae super nos splendor effulgeat;
et lux tuae lucis corda eorum, qui per tuam gratiam sunt renati,
Sancti Spiritus illustratione confirmet.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.


全能の神よ、私たちはつつしんで願い求めます。
あなたの大いなる威光の光を、人々のココロの光である、あなたの光を、
私たちと、あなたの恩寵によって新たに生まれた人々の上に、輝かせてください。
こうして、聖霊の照らしによって、私たちが堅められますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。


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Ad Missam in die


Deus, qui sacramento festivitatis hodiernae universam Ecclesiam tuam
in omni gente et natione sanctificas,
in totam mundi latitudinem Spiritus Sancti dona defunde,
et, quod inter ipsa evangelicae praedicationis exordia operata est divina dignatio,
nunc quoque per credentium corda perfunde.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.



神よ、あなたの全教会が、今日祝う神秘において、
全ての種族と国民を聖なるものとし、
聖霊の賜物を、あまねく全世界の上に降り注いでください。
教会の誕生に当たり、神の愛のうちになされた福音宣教の業が、
今もまた、信じる民によって、人々のココロに愛が注がれ、
豊かな実りをもたらすことができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。


ちょっと名古屋に戻ります~(その間PC使えません)
帰ってきたらまたヨロシクぅ^^


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♡ε(◕‿◕✿)з☆愛の炎の矢☆(。◕‿◕。)ノ♥・゜:


Veni, Sancte Spiritus, o Spiritus veritatis et amoris,
reple tuorum corda fidelium
et tui amoris in eis ignem accende.


                 聖霊よ、来てください。
                 あぁ、真理と愛の霊よ、
              あなたを信じる私たちのココロを満たし、
           あなたの愛の炎を、このココロにともしてください。



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聖マリア・マグダレナのガブリエル司祭

聖霊降臨は、
人間に注がれる、神の賜物の充満です。

天に昇られたイエズスは、
御父と共に、ご自分の霊、聖霊を、
私たちに送られました。

御父と聖霊は、
受肉によって御言葉を与えるほど、私たちを愛し、
御父と御言葉である御子は、
聖霊を与えるほど、私たちを愛されたのです。
実に、聖三位一体が、人間にご自身を与え、
人間を罪から救い、聖なるものとし、
ご自分との親密な一致へと導き入れるために、
この虚無に過ぎない私たちの上に、身をかがめられるのです。

火の舌の形で、
聖母と使徒たちの上に注がれた聖霊降臨によって、
次のことが私たちに示されています。

愛の霊である聖霊が私たちに与えられているのは、
実に、聖霊ご自身の愛によって、私たちを変容させ、
聖なるものとされた私たちを、神に導くためです。

聖霊は一時的な賜物ではなく、
永続的な賜物です。
実際、愛に生きる人にとって、
聖霊はその霊魂に住まわれる甘美な友です。

イエズスが仰せられたとおりです。
『私を愛する人があれば、私たちはその人のところに行って、そこに住む』

恩寵の状態にある霊魂に、
聖三位が、聖霊が住まわれるこの内住は、
増大することができ、また、そうなることを望んでおられる賜物であり、
絶え間ない自己贈与である。

私たちにとって、聖霊が最初に与えられたのは、
洗礼を受けた日です。

その後、各々の信徒にとっての聖霊降臨とも言うべき堅信の秘蹟によって、
この賜物が新たにされ、特別な仕方で強固にされました。

それから、次第に愛が増加するたびに、
この愛の賜物は新たにされ、
聖霊は御父と御子と共に、
より徹底的に、より深く、霊魂に浸透してゆきます。

私たちが、神の招きに応えて、寛大な愛徳を実践するたびに、
聖霊は、私たちの霊魂に、目に見えない訪問を繰り返し、
いつも新たな恩寵と愛を、注いでくださるのです。

このように私たちの霊的生活は、
聖霊の働きのもとに発展し、
生命に満ちた聖霊の愛の流れで、
生かされ、愛に変えられ、すっかり捕らえられるのです。

聖霊は、人を聖なるものとするために与えられていますから、
私たちは、キリストに似たものとなる度合いに応じて、聖なるものとなります。
私たちのうちにキリストの似姿を刻むために、
聖霊が与えられているのです。
ですから、イエズスが似るべき模範である以上、
私たちの生活が、イエズスのご生活の延長となり、
主がそこにおいて、御父への絶え間ない礼拝、賛美、
人々の贖いのために犠牲を捧げ続けることができるほどに、
主に似たものとなることを望むのは、僭越なことではありません。

聖霊は、私たちをイエズスに似たものとするため、
まず恩寵を注いで、キリストの聖性を交流させてくださいます。
この恩寵は、各々の人を『もう1人のキリスト』とするほどに、
私たちの存在、活動、生活に深く浸透するはずなのです。

私たちは、キリストと同じ姿になる度合いに従って、
その聖性にあずかるだけでなく、その救霊事業にも参与するのです。

イエズスは、私たちのうちで、その神秘を新たにし、
聖三位の栄光を讃えつつ、人々の霊魂を救う御業を続けられるでしょう。








                     あと。。♣ファンでない方はここも見てちょ♡

聖霊の派遣について




 主は、神へと生まれ変わらせる権能を弟子たちに与える際に仰せになりました。

 『あなたたちは行って、全ての民を私の弟子にしなさい。
   彼らに聖父と聖子と聖霊の名によって、洗礼を授けなさい』(マテオ228.19)


 その同じ主は、預言者たちを通して、しもべとはしために預言させるべく、
 時の終わりにこの霊を注ごう、と約束されました。

 それ故聖霊は、人の子となられた神の御子にも降られました。
 それは霊が、彼と共にあることで、人類のうちに住まわれ、人々の中でとどまりつつ憩い、
 神が形成された体としての人間のうちにも住むためでした。

 聖霊は人間のうちに住んで、その中で御父のご意思を行ない、
 彼らを古さから、キリストの新しさへと一新するのです。



 ルカは、主の昇天の後、五旬祭の日にあたり、この霊が全ての民族を生命へと導き入れ、
 新しい契約を開始するための権能をもって弟子たちに降られたと言っています。
 こうして弟子たちは一致して、あらゆる言語で神をほめたたえ、
 霊は、互いに遠く離れていた諸部族を一致へと引き戻し、
 全ての民族の初穂を、御父にお捧げになりました。


 このため主は、私たちを神のみこころにかなう者とするはずの
 弁護者を派遣することを約束されたのです。

 水分がなければ、乾いた小麦粉からは1つの塊さえ、まして1つのパンも出来ないように、
 天からの水がなければ、私たちが多くの者でありながら、
 キリストにおいて1つになるということが不可能でした。
 また、乾いた大地が水分を取り込まなければ実を結ばせることが出来ないように、
 最初は干からびた枯れ木のような私たちが、天上からの豊かな恵みの雨がなかったならば、
 生命の実りを結ぶことは決して出来なかったでしょう。

 私たちの体は、洗礼の水洗いにより、霊魂は霊によって、
 不滅性にまで至らせる一致を受けたのです。



 神の霊、上智と聡明の霊、賢慮と剛毅の霊、知識と孝愛の霊、敬畏の霊が、
 天からの露として、主に降られました。

 その同じ霊を、主は教会にそのままお与えになり、
 天上からの弁護者を、全地に派遣されたのです。

 その地には、主の御言葉によれば、かつて悪魔が稲妻のように投げ落とされたのです。
 このため私たちには、神の露が必要なのです。

 それは、私たちが悪魔である稲妻によって焼き尽くされてしまわないためであり、
 実を結ばないままに終わることのないためです。
 そして、人間を訴える者、すなわち投げ落とされたサタンのいるところに、
 弁護者も共にいてくださるためです。


 主は、人間が強盗の手中に堕ちたのを憐れに思い、その傷口を介抱してくださり、
 さらに、ご自分のものである人間に、王の銘が刻まれたデナリオン銀貨2枚を与えて、
 その聖霊に委ねられたのです。

 それは私たちが霊によって、デナリオンに刻み付けられた御父と御子の肖像と銘を
 自分の身に受け、こうして自分に委ねられたデナリオンを実らせ、
 それを殖やして、主に決算報告できるためです。




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