カテゴリ: 主の受肉の神秘について

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アヴェ・マリア、
恩寵に満ち溢れた御方よ、
主はあなたと共におられます。

あなたと共におられるのは、
あなたがご自分の血をお与えになった神なる御子だけではありません。
あなたを、その陰で覆われた神なる聖霊も、共におられ、
あなたのご胎内の御子を、永遠に生み出された御父も、共におられます。

御子を賜った御父は、あなたと共におられ、
御子も偉大な神秘を実現しようと、
処女の純潔を損なうことなく、あなたの胎内に隠れておられます。
御父と御子と共に、あなたを聖化される聖霊も、共におられます。

あぁ、まことに神は、
あなたと共におられます。

(聖ベルナルド修道院長教会博士)


お告げの祈り
Angelus 

この祈り文は、使徒座から10年の部分免償が賦与されています。


Angelus Domini nuntiavit Mariae;
Et concepit de Spiritu Sancto.
主の天使がマリアに告げ知らせ、
聖霊によって受胎された。


Ave Maria,
gratia plena, Dominus tecum.
Benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.

アヴェ・マリア、
恵みに満ちた御方、主はあなたと共におられます。
あなたは女のうちで祝福され、
御胎内の御子、イエズスも祝福されています。
神の御母、聖マリア、
私たち罪人のために、
今も死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。


Ecce ancilla Domini.
Fiat mihi secundum verbum tuum.
ごらんください、私は主のはしためです。
お言葉通り、この身になりますように。

Ave Maria...

Et Verbum caro factum est.
Et habitavit in nobis.
こうして御言葉は肉となり、
私たちのうちに住まわれた。

Ave Maria....

Ora pro nobis, sancta Dei Genetrix.
Ut digni efficiamur promissionibus Christi.
私たちのためにお祈りください、神の御母よ。
私たちがキリストの約束にふさわしくなりますように。

Oremus:
祈りましょう。

Gratiam tuam, quaesumus, Domine, mentibus nostris infunde;
ut qui, Angelo nuntiante,
Christi Filii tui incarnationem cognovimus,
per passionem eius et crucem,
ad resurrectionis gloriam perducamur.
Per eundem Christum Dominum nostrum. Amen.

主よ、あなたの恩寵を私たちのココロに注ぎ入れてください。
天使の告知によって、あなたの御子キリストの受肉を理解した私たちが、
その受難と十字架を通して、
復活の栄光に到達させていただくことができますように。
その同じ私たちの主キリストによって。アーメン。




The Angel of the Lord declared unto Mary;
And she conceived of the Holy Spirit.

Hail Mary, full of grace, the Lord is with thee.
Blessed art thou amongst women and blessed is the fruit of thy womb, Jesus.
Holy Mary, Mother of God, pray for us sinners,
now, and in the hour of our death. Amen.

Behold the handmaid of the Lord:
Be it done unto me according to Thy word.

Hail Mary, full of grace, .....

And the Word was made flesh:
And dwelt among us.

Hail Mary, full of grace, .....

Pray for us, O Holy Mother of God.
That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.

Pour forth, we beseech Thee, O Lord,
Thy grace into our hearts, that we, to whom the incarnation of Christ, Thy Son,
was made known by the message of an angel,
may by His passion and cross be brought to the glory of His resurrection,
through the same Christ our Lord.Amen.




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マリアは身体よりも先に、心で受胎した




 ダヴィド王の子孫であるおとめマリアが、聖なる胎児を宿すべき女性として、
 神であり人であるその御子を、身体よりも先に、心で受胎するべく選ばれました。

 彼女が神のご計画を知らないままでいないように、
 自身のうちで行われる不思議な現象に恐れを抱かないために、
 聖霊が彼女のうちに行うことを、
 それが行われる前に、天の使いから聞かされるのです。


 マリアは、まもなく神の母になるということが、
 自分の純潔を失わせないことを確信しています。
 全能者の力によって、前代未聞の受胎の実現を約束されたマリアにとって、
 その可能性を疑う理由はありませんでした。

 その上、既に行われた奇跡が知らされることによって、
 彼女の信仰も固められます。

 実際、エリザベトに、思いがけない受胎の恵みが与えられたのです。
 それは、不妊の女性に受胎する力を与えられた神が、
 処女にも受胎する力を与えうることを疑わないようにするためでした。


 こうして、神の御言葉が、
 『はじめに神と共にあり、万物は彼によって造られ、
  造られたもののうち、彼によらずに造られたものは、何1つない』
 と言われている、神であり、神の御子である御方が、
 人間を永遠の死から救うために、人間となられたのです。


 御子は、ご自分の尊厳を傷つけることなく、
 私たち人間のもつ卑しさを受け取られました。

 御子は、今までと同じ神性のうちにとどまりつつ、
 同時に、今までなかった人間性を受け取り、
 神である御父と等しいご自分の姿に、
 しもべの姿を一致させられました。

 御子は、この2つの本性を親密に一致させるにあたり、
 栄光化の低い人間性を消しつくすことなく、
 また、受肉が、至高の神性を損なわないようにされました。


 従って、神性と人間性の実体は、そのまま完全に残り、
 1つのペルソナ(位格)のうちに合体するのです。

 こうして、尊厳が卑しさを、力が弱さを、
 永遠性が可死生を受け取るのです。

 私たち人類の負債を支払うべく、
 侵し得ない本性~神性~が、苦しみうる本性~人間性~と一致し、
 まことの神とまことの人は、唯一の主において合致したのです。
 こうして、私たちの救いにふさわしいことが、行われるようになりました。


 つまり、神と人との唯一無二の仲介者が、
 人間であるからこそ、死ぬことができ、
 神であるからこそ復活することができるようになったのです。

 そのため救い主の誕生が、
 その御母の処女性を全く損なわなかったのも、至極当然です。
 神の恩寵によって、彼女は純潔を守りつつ、
 真理そのものである御方を産んだのです。



 親愛なる皆さん、このような誕生こそ、
 『神の力、神の知恵であるキリスト』にふさわしいものでした。

 この誕生によって、キリストは人間性において私たちと等しくなり、
 神性によって私たちを超越するのです。



 もしキリストが、
 まことの神でなかったならば、
 彼が救いをもたらすことはできなかったでしょう。

 もしキリストが、
 まことの人でなかったならば、
 模範となることはできなかったでしょう。



 主のご降誕において、天使たちは喜び踊り、
 『天のいと高きところには、神に栄光あれ』と歌い、
 『地には善意の人に平和あれ』と告げます。
 この天使たちは、全世界のあらゆる民族が、
 天上のイェルザレムを構成するのを見ているからです。


 神のいつくしみの、この名城しがたい御業を、
 位の高い天使たちですら、それほどまでに喜ぶとすれば、
 卑しい人間たちは、それをどれほど喜ぶことでしょう。




お告げの祈り ( Angelus )



  この祈り文は、1933年2月20日付けで、10年の部分免償が付与されたことがあります。

Angelus Domini nuntiavit Mariae;
Et concepit de Spiritu Sancto.
  主の天使がマリアに告げ知らせ、
  聖霊によって受胎された。

                      Ave Maria, 
                 gratia plena, Dominus tecum. 
                  Benedicta tu in mulieribus, 
              et benedictus fructus ventris tui, Jesus. 

                    アヴェ・マリア、
         恵みに満ちたおとめ、主はあなたと共におられます。
                  あなたは女の中で祝福され、
             御胎内の実り、イエズスも祝福されています。

                  Sancta Maria, Mater Dei, 
                 ora pro nobis peccatoribus, 
                nunc, et in hora mortis nostrae. 
                       Amen.

                   神の御母、聖マリア、
                  罪人である私たちのために、
               今も死を迎える時も、お祈りください。
                      アーメン。


Ecce ancilla Domini.
Fiat mihi secundum verbum tuum.
  ごらんください、私は主のはしためです。
  お言葉通り、この身になりますように。

                      Ave Maria, 
                 gratia plena, Dominus tecum. 
                  Benedicta tu in mulieribus, 
              et benedictus fructus ventris tui, Jesus. 

                    アヴェ・マリア、
         恵みに満ちたおとめ、主はあなたと共におられます。
                  あなたは女の中で祝福され、
             御胎内の実り、イエズスも祝福されています。

                  Sancta Maria, Mater Dei, 
                 ora pro nobis peccatoribus, 
                nunc, et in hora mortis nostrae. 
                       Amen.

                   神の御母、聖マリア、
                  罪人である私たちのために、
               今も死を迎える時も、お祈りください。
                      アーメン。

Et Verbum caro factum est.
Et habitavit in nobis.
  こうして御言葉は肉となり、
  私たちのうちに住まわれた

                      Ave Maria, 
                 gratia plena, Dominus tecum. 
                  Benedicta tu in mulieribus, 
              et benedictus fructus ventris tui, Jesus. 

                    アヴェ・マリア、
          恵みに満ちたおとめ、主はあなたと共におられます。
                  あなたは女の中で祝福され、
             御胎内の実り、イエズスも祝福されています。

                  Sancta Maria, Mater Dei, 
                 ora pro nobis peccatoribus, 
                nunc, et in hora mortis nostrae. 
                       Amen.

                   神の御母、聖マリア、
                  罪人である私たちのために、
               今も死を迎える時も、お祈りください。
                      アーメン。

Ora pro nobis, sancta Dei Genetrix.
Ut digni efficiamur promissionibus Christi.
  私たちのためにお祈りください、神の御母よ。
  私たちがキリストの約束にふさわしくなりますように。


Oremus:
Gratiam tuam, quaesumus, Domine, mentibus nostris infunde;
ut qui, Angelo nuntiante, 
Christi Filii tui incarnationem cognovimus,
per passionem eius et crucem, 
ad resurrectionis gloriam perducamur. 
Per eundem Christum Dominum nostrum.  Amen.

祈りましょう。
主よ、あなたの恵みを私たちの心に注ぎ入れてください。
天使の告知によって、あなたの御子キリストの受肉を理解した私たちが、
その受難と十字架を通して、
復活の栄光に到達させていただくことができますように。
その同じ私たちの主キリストによって。アーメン。



 マリアは、『憐れみ深い御母、私たちの生命、甘美、希望』であるから、『この涙の谷で、悲しみと涙のうちに嘆き』つつ、マリアを呼び求め、自分と所有するすべてのものを信頼のうちに委ねよう。
	
 神的救い主が、ご自分をいけにえとして奉献された際、マリアは『私たちの母』とされ、その称号の故に、私たちは『マリアの子』とされた。

 マリアは、全ての善徳を教え、その御子を与え、御子と共に、必要な全ての助けをもお与えくださる。

 神は、『全てを、マリアを通じて私たちに与えようと望まれた』からである。



 天国の市民の間でも、神の御母であるおとめマリアは、特に尊敬されている。
 神から受けた使命によって、マリアの生涯は、イエズス・キリストの全ての神秘に堅固に結び付けられている。
	
 実際、マリアほど親密かつ効果的に、受肉した御言葉の足跡に従った者は他におらず、マリア以上に、神の御子の聖心と共に、また聖心を通して天の御父と共に、その恵みと力を享受している者は他にない。

 マリアは、智天使よりも熾天使よりも、聖なるものであり、その栄光は、天上の全市民よりも遥かに大きい。

 なぜならマリアは、『恵みの充満』『神の御母』であり、マリアの幸いな出産によって、私たちが救い主を得たからである。



 神の御子と人間性との間の、一種の霊的婚姻が結ばれることを証明するために、キリストを懐胎するであろう事が、至福なおとめに告知されたのは至極当然であった。

 これ故に、お告げに際しては、おとめが、全体的人間性を代表して、これをお受けすることが、あらかじめ期待されていた。



 キリストは、その肉体形成の素材を、ご自身以外の人間から享受されたが、人類は、肉身の不滅の生命を、キリストから享受する。


 キリストは、神のまことの御子、つまり自然的に御子であるが故に、父なる神の威厳が、他のものの上に伝わることがないように、それ相応に、神を除いて、(人間としての)父親を持たなかった。
 (それ故、聖ヨゼフは、あくまでも『養父』という立場に他ならない)



 キリストにおいて、2種類の誕生を認めなければならない。
 第1に、永遠において御父から誕生され、第2に、時間において御母から誕生された。

 至福なおとめマリアは、キリストの本当の実母である。
 至福なおとめが、神の御母と呼ばれるのは、神性の母の故にあらず、神性と人間性を備えた御方にとって、人間性の母に該当する所以である。



 私たちが精神において享受する言葉は、目に見えないものであるが、外に向けての発音により、明らかにされ、知覚されるに至る。

 それと同様に、神の御言葉は、御父の聖心のうちに、永遠の誕生として、人の目には見えない存在を持っているが、受肉することにより、私たちの目にも見えるものとなられた。

 それゆえ、受肉は、言葉が発音されることに似ている。
 私たちの言葉の発音は、息吹によって引き起こされる。
 つまり、息吹を介して、言葉が形態を与えられるのである。

 それと同様に、御子の霊の息吹(聖霊)によって、その肉体が形造られたというのは至極当然である。



 キリスト教信仰の対象は、特に、三位一体の神性、及びキリストの人間性の2つに存する。

 人間にとって、至福に到達する道は、キリストの受肉と受難の神秘である。

 人間に善と悪の知識を約束した蛇(悪魔)の言葉から明らかなように、人祖は、知識を求めて罪を犯したのである。

 それ故、知識への放縦な要求をもって、神から離叛した人間が、まことの叡智である御言葉によって、再び神のもとへと引き戻される事は、実に適切な道であった。


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