カテゴリ: 大聖ベネディクトゥスへの祈り

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547年3月21日、聖ベネディクトは、モンテ・カッシーノ修道院の聖堂で、
臨終の聖体と聖血を敬虔に拝領してから、
祭壇のもと、修道士に支えられて立ったまま、
祈りのうちに手を挙げつつ、息を引きとり、帰天し、67歳の生涯を閉じました。

その日、2人の修道士が、1人は修道院内で、
もう1人は修道院から遠く離れた場所で、同じ幻を目の当たりにしました。
彼らは、モンテ・カッシーノから天にまで届く光の垣の間を、
巨大な絨毯のようなものが伸びているのを目撃しました。
そして、神々しい光に包まれた天使が現れて、こう告げました。

「これこそ、聖なるもの、ベネディクトゥスが、天に昇る道である」


私たちの師父聖ベネディクト修道院長の帰天
IN TRANSITU S. P. N. BENEDICTI ABBATIS.
Die 21 Martii


聖ベネディクトは、
キリスト教文明の光となり、
かつて暗闇を駆逐し、平和の賜物を輝かせましたが、
今もなお彼は、ヨーロッパ生活に君臨しており、
彼の取り次ぎによって、文化はさらなる発展を遂げ、
ますます拡大してゆくことでしょう

1964年12月24日
パウルス6世教皇は、聖人についてこのように語り、
そして、聖ベネディクトゥスをヨーロッパの保護者として宣言しました。

聖人が養成した修道士たちは、フランス、ドイツ、イギリス、
スカンディナヴィア、ハンガリーなど、各地に修道院を建設し、
その周囲に多数の街区を設け、福音を宣べ伝え、文明を促進し、
その地方の経済的中心として発展しました。
大地を耕し、豊かにし、あらゆる事業を計画的に発展管理させました。
また、学校、図書館、ギリシア・ローマの古典、薬学、芸術、
哲学や神学書の保存、バジリカからゴシック聖堂にまで至る中世教会建築、
教会音楽の傑作であるグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)、
シャンペン、有名なワイン造りなど、全文化を掌握していました。
各時代を通じて、聖人、福者を輩出し、聖性の宝庫となりました。

本日は聖人の天上の誕生日(Dies natalis)として、聖人の帰天を祝います。



Sanctissime Confessor Domini,
monachorum Pater et Dux Benedicte,
intercede pro nostra omniumque salute.

至聖なる主の証聖者よ、
修道院生活の父にして指導者であるベネディクトよ、
私たちと全ての人の救いのために取次いでください。

Hodie sanctus Benedictus per viam Orientis caelum ascendit.
Hodie in gloria ab Angelis susceptus est.

今日、聖なる人ベネディクトは、日の昇る道を通って、天に上げられた。
今日、栄光のうちに、天使たちに迎え入れられた。

Oremus:
祈りましょう。

Omnipotens sempiterne Deus,
qui hodierna die carnis eductum ergastulo
sanctissimum Confessorem tuum Benedictum sublevasti ad caelum,
concede, quaesumus, haec festa tuis famulis celebrantibus,
cunctorum veniam delictorum,
ut qui exultantibus animis eius claritati congaudent,
ipso apud te interveniente, consocientur et meritis:
Per Christum, Dominum nostrum. Amen.


全能永遠の神よ、
あなたは今日この日、あなたの至聖なる証聖者ベネディクトを、
肉の牢獄から連れ出して、天に引き上げられました。
私たちはつつしんで願い求めます。
この、あなたのしもべの祝祭を記念する私たちが、
全ての過ちの赦しをいただくことができますように。
そして、その霊魂のきらめく輝きを、共に喜びおどる私たちが、
御前における、聖人の取次と功徳によって、
その栄光にも、共にあずかることができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。




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聖ベネディクトの連祷(Litaniae de Sancto Benedicto)

Kyrie, eleison. Christe, eleison.Kyrie, eleison.
Christe, audi nos.Christe, exaudi nos.

Pater de caelis, Deus, miserere nobis.
Fili, Redemptor mundi, Deus, miserere nobis.
Spiritus Sancte Deus, miserere nobis.
Sancta Trinitas, unus Deus, miserere nobis.

Sancta Maria, ora pro nobis.
Sancte Pater Benedicte,
Magni dux sacrae militiae  
Abraham novi testamenti 
Patriarcha monastici institute in occidente,
Propheta Christi crucifixum,
Apostole pacis,
Martyr ignis caritatis Eucharisticae,
Gloriosus Confessor Domini,
Sanctissime monachorum pater, 
Auctor et fundator schola divini servitii,
Scriptor Regula Monachorum,
Instaurator vitae monasticae 
Stella religionis 
Lux orationis et contemplationis 
Norma abstinentiae  
Magister oboedientiae  
Regula paupertatis
Candor castitatis  
Exemplum humilitatis et caritatis,
Benigne dilector proximorum
Speculum virtutum omnium
Victor et triumphator tentationum 
Flos sanctitatis,
Caelestis norma et Doctor perfectionis  
Excellentissimus magister vitae spiritualis,
Vas immaculatum ad Dei gloriam,
Manus Dei miraculorum admirabilis,
Beatus vir, Cordi Jesu intime unitum,
Pastor prudens omnibus omnia factus sum,
Sanctus vir per viam splendoris gloriae caelum ascendit,
Gemma caelestia pretiosa Regis,
Custos morientium,
Auxilium animarum in Purgatorio,
Flagellum daemoniorum 
Terror Satanae et legionis diabolicae ejus,
Lumen civilisationis Christianae,
Patrone Europae,

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, parce nobis, Domine.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, exaudi nobis, Domine.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.

Ora pro nobis, sancte pater Benedicte.
Ut digni efficiamur promissionibus Christi.

Oremus.

Deus, qui beatum Benedictum abbatem
in schola divini servitii praeclarum constituisti magistrum,
tribue, quaesumus, ut, amori tuo nihil praeponentes,
viam mandatorum tuorum dilatato corde curramus.
Per Christum Dominum nostrum. Amen.

Die 21 Martii)

Hodie sanctus Benedictus per viam Orientis caelum ascendit.
Hodie in gloria ab Angelis susceptus est.

Oremus:

Omnipotens sempiterne Deus, qui hodierna die carnis eductum ergastulo
sanctissimum Confessorem tuum Benedictum sublevasti ad caelum,
concede, quaesumus, haec festa tuis famulis celebrantibus,
cunctorum veniam delictorum,
ut qui exultantibus animis eius claritati congaudent,
ipso apud te interveniente, consocientur et meritis:
Per Christum, Dominum nostrum. Amen.

vel:

Deus, qui beatum Benedictum abbatem, Filii tui spiritu repletum,
insignem fecisti perfectionis evangelicae praeceptorem,
concede nobis ut ejus illustrem ad caelos transitum recplentes,
ad caritatis gloriaeque culmina festinemus.
Per Christum Dominum nostrum. Amen. 


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主よ、憐れんでください。 キリストよ、憐れんでください。主よ、憐れんでください。 
キリストよ、私たちの祈りを聞いてください。キリストよ、私たちの祈りを聞き入れてください。

天の御父である神よ、私たちを憐れんでください。 
御子、世の贖い主である神よ、私たちを憐れんでください。
聖霊である神よ、私たちを憐れんでください。
聖三位である唯一の神よ、私たちを憐れんでください。

聖マリアよ、私たちのためにお祈りください。
聖なる父、ベネディクトよ、私たちのためにお祈りください。(以下同様に唱える)
聖なる軍団の偉大な司令官よ、
新約のアブラハムよ、
西方修道院制度の太祖よ、
十字架につけられたキリストの預言者よ、
平和の使徒よ、 
エウカリスツィアの愛の炎の殉教者よ、 
栄光に満ちた主の証聖者よ、 
修道者たちの至聖なる父よ、
神的奉仕の学校の権威者であり設立者よ、
修道戒律の起草者よ、
修道生活の刷新者よ、
奉献生活者の星よ、
祈りと観想の光よ
節制の規範よ、
従順の教師よ、
清貧の規準よ、
貞潔の光輝よ、
謙遜と愛徳の模範よ、
隣人の慈愛に満ちた熱愛者よ、
全ての善徳をうつす鏡よ、
誘惑に対する勝利者であり凱旋者よ、
聖性の花よ、
天上的生活の規範であり完徳の博士よ、
霊的生活の最も卓越した教師よ、
神の栄光の汚れない器よ、
感嘆すべき神の奇跡の手よ、
イエズスの聖心と親密に結ばれた幸いな人よ、
全ての人々に全てとなられた賢明な牧者よ、
栄光の輝きの道のりを経て、天に引き上げられた聖なる人よ、
天上の王の貴い宝石よ、
死を迎える人々の守護者よ、
煉獄の霊魂たちの助けよ、
悪魔をうつ鞭よ、
サタンとその悪魔の軍勢の恐怖の的よ、
キリスト教文明の光よ、
ヨーロッパの保護者よ、

世の罪を取り除く神の小羊よ、主よ、私たちをお赦しください。 
世の罪を取り除く神の小羊よ、主よ、私たちの祈りを聞き入れてください。
世の罪を取り除く神の小羊よ、私たちを憐れんでください。

聖なる父、ベネディクトよ、私たちのためにお祈りください。
私たちがキリストの約束にふさわしくなりますように。

祈りましょう。

神よ、あなたは幸いなベネディクト修道院長を、
神的奉仕の学校における輝かしい教師として据えられました。
私たちはつつしんで願い求めます。
私たちが、あなたへの愛に、決して何ものをも優先させることなく、
あなたの掟の道を、広められたココロで、速やかに走ることができますように。
私たちの主キリストによって。
アーメン。



3月21日の場合)

今日、聖なる人ベネディクトは、日の昇る道を通って、天に上げられた。
今日、栄光のうちに、天使たちに迎え入れられた。

祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたは今日この日、あなたの至聖なる証聖者ベネディクトを、
肉の牢獄から連れ出して、天に引き上げられました。
私たちはつつしんで願い求めます。
この、あなたのしもべの祝祭を記念する私たちが、
全ての過ちの赦しをいただくことができますように。
そして、その霊魂のきらめく輝きを、共に喜びおどる私たちが、
御前における、聖人の取次と功徳によって、
その栄光にも、共にあずかることができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。

もしくは;

神よ、あなたは、幸いなベネディクト修道院長を、あなたの御子の霊で満たし、
福音的勧告の完成された「しるし」となさいました。
私たちはつつしんで願い求めます。
その輝きに満ちた、天への過越を記念する私たちが、
愛徳と栄光のいただきへと向かって、急ぐことができますように。
私たちの主キリストによって。アーメン。


ちなみに、3月21日は、
聖ベネディクトの帰天の記念日です。
http://media.imeem.com/m/1Hsp8m50h_/

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聖ベネディクトゥスの十字架 Crux Sancti Benedicti

聖ベネディクトゥスの十字架は、
悪魔が最も恐れているものの1つであり、
聖ベネディクトゥスのメダイ十字架、
聖ベネディクトゥスの祝福、
聖ベネディクトゥスの祓魔(悪魔祓い)、
善終の十字架(善い死を迎えるための十字架)、
と呼ばれている、カトリック教会の準秘蹟であり、
信じるものにとって強力な霊的武器です。

これは、全ての悪、
人格的悪である悪魔や悪霊、
物質的害悪、精神的害悪、霊的害悪、
これらに対する、祝別(祝福)された防御の標徴(シンボル)です。

聖ベネディクトゥスは、その信仰の力をもって悪魔を征服しました。
それゆえ悪魔は、この聖人と、その影響下にあるメダイをとても恐れています。
このことから、公式悪魔祓い(エクソシズム)においては、
この聖ベネディクトゥスのメダイ十字架が、
エクソシストの間で、圧倒的な支持を得て、使用されているのです。

このメダイの信心を介し、霊的、肉体的、精神的、物質的な保護や祝福がもたらされ、
悪魔による攻撃や誘惑、魔術、毒、伝染病に対する防御ともなり、
また悪魔憑きにたたみかける悪魔を追い祓う強力な武器ともなり、
ある場合には、その人の信仰に応じて、肉体的な病、慢性の病気が癒されたり、
ペストが流行した際には、このメダイを身に着けて祈りを捧げていた全ての人が、
それを免れた(家畜も)とされています。
陸上や海上での暴風雨や嵐に対する保護として用いられたり、
妊婦の安産祈願にも用いられます。
そして、臨終における安らかな死を迎えるための恩寵の取り次ぎも願われます。


十字架とメダイの組み合わせについて

まず、大聖グレゴリウス1世教皇教会博士が著した、聖人の伝記に基づき、
十字架のしるしによって数々の奇跡を行なった聖人の像がメダイに刻まれました。

ある時は、悪魔のイリュージョンによって、
モンテ・カッシーノ修道院が炎に包まれているのを、
修道士たちが錯覚させられて大混乱に陥った際、
聖人の「十字架のしるしをせよ」との指示により、
修道士たちはその錯覚と動揺と混乱から解放されました。

聖ベネディクトゥスの教えと模範に従った多くの聖人たちは、
彼らの聖なる父ベネディクトゥスの名を呼び求め、
その功徳と取り次ぎに信頼して、十字架のしるしをして奇跡、治癒、祓魔を行ないました。
聖人の地上での生存中から、その取り次ぎには偉大なものがありましたが、
天上の栄光に入ってからは、さらなる取り次ぎの力をいかんなく発揮されました。

このような、聖ベネディクトゥスと十字架のしるしとの特別な関わりに基づいて、
キリスト磔刑像付き十字架と、メダイが組み合わされることとなりました。

メダイの普及について

このメダイが脚光を浴びるようになったのは、11世紀頃のことで、
当時、聖ベネディクトゥス会の1修道士ブルーノの癒しが話題になりました。
1002年に生まれたブルーノは、ある夜、寝室で眠っている時、
大きなヒキガエルに襲われました。
カエルは、彼の顔面全体を捉えて圧迫し、その肉を激しく吸引しました。
激しい痛みに驚いて飛び起きた彼は、寝室から外に駆け出し、
震えながらも、へばりつくカエルを引き剥がして投げ捨てました。
しかし、彼の顔面は、たちまち炎症を起こしてふくれあがり、
病状も非常に悪化し、危険な状態に陥りました。
まる2ヶ月間、両親の看病のもと、彼は病の床に伏していました。
ある夜、幻のうちに彼はベッドから起き上がり、窓の外を見ると、
天からのはしごが目の前に現れ、
右手に十字架を掲げた、聖ベネディクトゥスが降りてきました。
聖人は、左手をはしごにかけ、右手の十字架をブルーノのもとに伸ばし、
患部に触れさせました。すると、耳から悪いものがみな流れ出て、
彼はたちまち全快しました。
彼ブルーノは、のちに聖レオ9世教皇(1049~1054在位)となりました。

聖ベネディクトゥスの賛歌「Aether pluit numismata」の中で、
メダイの言及が、助祭パウルスによって書かれました。

1647年には、悪魔の国を広めようとする魔術師の呪いによって、
一部の地域が騒然となる災いが引き起こされた時期がありましたが、
聖ベネディクトゥスのメダイを壁に掛けていた家や修道院は、
その災いを免れ、聖人の取り次ぎによる保護であるとされました。

1721年、聖ベネディクトゥスのメダイの図案は、
大修道院長ベルナルド・ぺズ(Dom Bernard Pez)による、
「Thesaurus Anecdotorum Novissimus」の中で描かれました。

聖ベネディクトゥスのメダイに刻まれた文字

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メダイの表には、
十字架と修道戒律を手にした聖ベネディクトゥスが正面に立ち、
向かって右には、カラスと毒入りパンが刻まれ、
向かって左には、毒入りぶどう酒の杯が割れて、
中から蛇が現れて逃げ出す姿が刻まれています。

刻まれたラテン語としては、次の3つが掲げられています。
①Crux Sancti Patris Benedicti
。。聖なる父ベネディクトゥスの十字架
②Eius in obitu nostro praesentia muniamur
。。私たちの臨終において、聖人の臨在によって護られますように
③EX S M CASINO MDCCCLXXX
。。聖なるモンテ・カッシーノより 1880年
  1880年聖人生誕1400年記念祭の記念メダイ鋳造の特許を示しています。
メダイの裏には、
十字架の中に、また、それを囲むように、ラテン語が刻まれています。

①PAX。。平和

②C.S.P.B。。Crux Sancti Patris Benedictiの頭文字
           (聖なる父ベネディクトゥスの十字架)

③十字架の縦の刻印 C.S.S.M.L。。Crux Sacra Sit Mihi Luxの頭文字
           (聖なる十字架が、私の光になりますように)

④十字架の横の刻印 N.D.S.M.D。。Non Draco Sit Mihi Duxの頭文字
           (悪魔である龍が、私の導き手にならないように)

⑤V.R.S.N.S.M.V.S.M.Q.L.I.V.B
       。。これは3つの6脚韻形の防御の祈りを短縮した頭文字です。

Vade Retro Satana,(サタンよ、向こうへ退け)
Numquam Suade Mihi Vana.(虚しいものをもって私にささやくな)
Sunt Mala Quae Libas;(お前の与えるものは悪に過ぎない)
Ipse Venena Bibas.(お前がみずから、その毒を飲むがいい)

聖ベネディクトゥスは、悪魔とその誘惑を駆逐する際、
十字架のしるしと共に、これらの言葉を唱えていました。

賦与された免償

1741年12月23日、ベネディクトゥス14世教皇により、祝別定式が認可され、
1742年3月12日、下記に示す全免償および部分免償が賦与されました。
1887年8月31日、福者ピウス9世教皇により、多くの免償が賦与されました。

                  記

1)このメダイを身につけている信者は、通常条件のもとに、
    次の祝日において、全免償が与えられます。

降誕祭(12/25クリスマス)、公現祭(1/6)、
復活祭、昇天祭、聖霊降臨祭、聖三位一体祭、聖体祭(移動祭日)、
蝋燭ミサ(2/2主の奉献・マリアの清め)、
聖母被昇天(8/15)、無原罪の宿り(12/8)、聖母誕生祭(9/8)、
諸聖人(11/1)、聖ベネディクトゥス(3/21帰天記念 7/11祭日)

    週に1度、次のとおり行なう信者にも、全免償が与えられます。

ミサ聖祭に敬虔にあずかる。 ロザリオの祈りを唱える。 カトリックの教えを伝える。病者を愛情深く見舞う。 貧しい人に優しさをもって施しをする。

2)このメダイを身につけている恩寵の状態にある信者は、
    次のとおり、部分免償が与えられます。

①200日の部分免償
。。病者を見舞う。 教会を訪問する。 家庭で子供たちに教理を教える。
  恵まれない親族を援助する。
②7年と280日の部分免償
。。ミサ聖祭を挙行、もしくはミサ聖祭に参加して、
  キリスト教徒の国家元首、または政府のために祈る。
③7年の部分免償
。。諸聖人の祭日に、病者を見舞う(その度ごとに免償が与えられる)。
④100日の部分免償
。。ミサ前に、あるいは聖体拝領前に、何らかの祈りをする。
⑤全ての罰の3分の1の免除
。。助言により、また模範により、罪人を改心させる。
⑥部分免償(上限なし)
。。毎月曜日、または毎木曜日、または復活節において、
  良い告解をし、聖体拝領した上で、
  カトリック教会の繁栄のため、また教皇聖下のために祈る。
⑦聖ベネディクトゥス修道会においてなされる一切の善業の功徳への参与
。。聖ベネディクトゥス修道会の発展を祈る。

3)信者が、その臨終において、
    また、普段からこのメダイを身につけている信者も含めて、
   聖ベネディクトゥスのメダイ十字架による祝福を受けるか、
  その十字架に接吻、または手で触れるならば、
  次のような条件のもとに、全免償が与えられます。

①神の御手に、自分の霊魂を委ね、罪の償いとして、死を潔く受け入れる。
②告解をした上で、聖体拝領する。
 もし、それが不可能であれば、心から罪を痛悔し、イエズスの聖名を敬虔に呼ぶ。

聖女ジェルトゥルーディスへの出現

聖ベネディクトゥスは、幸いなジェルトゥルーディスにこのように告げられました。
かの崇高なひと時、私が立ちあがりつつ祈りのうちに自身を捧げた死の時を、
熱心に、私に想い起こさせようと努める者は誰であれ、
その死を迎えるまさにその時、
このように忠実な人のもとに、私は臨在することを望み、
その人に対して、敵が怒り狂って襲いかかるその時、
邪悪な策略によって苛まれるであろう、全ての状況において、
私が立ちはだかり、その人を護ろう。


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☆★☆★☆聖ベネディクトゥス★☆★☆★

聖ベネディクトゥスは、
西欧修道生活の太祖であり立法者、
西欧修道院制度の確立者、
西方隠修士の総大司教、
6世紀の光明、
奇跡を行なう神の人であり預言者、
霊的生活の教師、
驚嘆すべき父、
臨終の守護者、
キリスト教文明の光であり師父、
ヨーロッパの保護者と呼ばれています。

聖ベネディクトゥス St. Benedictus a Nursia

480年、聖ベネディクトゥスは、
ローマ帝国崩壊、蛮族が欧州を席捲した歴史の転換期に、
中部イタリアのウンブリア州のヌルシア(現在のノルチアNorcia)、
アペニン山脈中の田舎で、ローマ貴族の家に生まれました。
(父;エウプロピウス、母;アブンダンツィア、双子の妹;スコラスティカ)
497年、ローマの高等学校へ送られ、哲学、法律学、修辞学を研究しました。
しかし、青年たちの堕落や道徳的害毒を目の当たりにし、
500年、修徳生活をこころざして、ローマを去りました。

スビアコ(Subiaco)の聖なる洞窟(Sacro Speco)

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しばらくの間、小都エンフィーデ(Enfide)で、修道士たちと交流をもち、
「聖ペトロ教会の客人」として迎えられました。
ここで、乳母が、小麦用の篩(ふるい)を不注意で割り、泣いていたため、
聖人が割れた篩を手にして祈ったところ、篩は元通りになりました。

この最初の奇跡による人々の注目を避けるため、
そこを去り、隠修士として、アニオ谷のスビアコの洞窟に入り、
3年間、完全な孤独、祈り、観想、苦行の生活を送り続けました。

現在ここは、聖人を尊んで「サクロ・スペコ」(聖なる洞窟)と呼ばれています。
福者ピウス9世教皇は、この聖なる洞窟にラテン語で碑文を刻みました。

「この地こそ、西欧キリスト教国家の発祥の地である」

この付近の隠修士は、この熱心な若い隠修士を父のように慕いました。
そこで聖人は、これらの隠修士たちを共住生活に導きましたが、
彼らのうちのある者が、聖人の方針に強く反発し、
ぶどう酒に毒を盛り、聖人にその毒入りの杯を差し出しました。
しかし、聖人がその杯に十字架のしるしをすると、
その杯は2つに割れ、毒が盛られていた計画も判明しました。
この事件の後、聖人は自分の洞窟に戻りました。

ところが、またも周囲に弟子入りする人々が非常に増えたため、
今度は12の修道院に彼らを振り分け、各々に修道院長を立て、それに従わせました。

聖人はこの地で、岩山に泉を湧き出させたり、湖で失われた鎌の刃を戻したり、
溺れる弟子の救助のために、別の弟子に命じて、川の上を走らせて救助させたり、
その他にも、さまざまな奇跡や悪魔祓いを行ないました。

モンテ・カッシーノにおける修道院制度の確立と発展

スビアコでの修道院体制の飛躍的発展に対し、
嫉妬と敵意にかられた近隣の1司祭フロレンティウスは、
修道士を堕落させるべく、さまざまな妨害を執拗に繰り返しました。
529年、これに心を痛めた聖人は、数名の修道士と共にスビアコを後にしました。
追放成功に酔いしれたフロレンティウスは、その直後、建物の倒壊で圧死しました。

聖人は、みずから選抜した少数の弟子たちと共に、
ローマとナポリの中間にあるモンテ・カッシーノ(標高519M)にのぼり、
そのアポロン神殿跡地にモンテ・カッシーノ修道院を建てました。
これは、真の完全な共住生活へ向かうことを決定づけるものとなりました。

聖人は、聖マルティヌスと洗礼者聖ヨハネの誉れのために2つの礼拝堂を設け、
さらに、修道士の住居、来客用宿泊所、書庫、作業場、病室、井戸、
製粉所、庭園を有する広大な修道院を建設しました。

聖人の思想は明快で、その性質は率直であり、
優れた法律学上の知識を有し、言葉よりもむしろ実践で模範を示し、
聖書や教父の著作について偉大な知識を有していました。
聖人の活動は、修道院の壁を越えて、遠くにまで及びました。
各地の農民たちに福音を説き、困窮者たちは、聖人のもとに来て助けられ、
司教や国王との円満な関係を保ち、人々の尊敬の的となりました。

修道戒律の起草と、その文化的影響

539年、聖人によって著された修道戒律は、
透徹した天才的叡智の産物と言われ、
全西ヨーロッパの修道生活の法典となり、
教皇や諸国の王の布告により、驚くべき早さで広まり、
それまでの一切の古い修道戒律を駆逐して、
12世紀に至るまで、修道生活の唯一の規準となり、
ヨーロッパの精神生活全般に大きな影響を及ぼしました。

聖人のモットーは、「祈り、働け」(ora et labora)であり、
その修道会(Ordo Sancti Benedicti)は、福音宣教とヨーロッパ文化の中枢となり、
その深い影響力は、15世紀を経た今なお、5大陸に存続しています。

聖人の帰天日と祝日

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543年2月6日、聖人は、妹の聖女スコラスティカと最後の霊的談話をし、
2月10日に、妹の霊魂が鳩の形をして天国に昇る姿を幻視し、その死を知りました。

547年3月16日、死の6日前、聖人は自分の死の時を知らされ、
自分の墓穴を掘らせた後、激しい熱に襲われ、病状も悪化しました。

3月21日、聖人は、モンテ・カッシーノ修道院の聖堂で、
臨終の聖体と聖血を敬虔に拝領してから、
祭壇のもと、修道士に支えられて立ったまま、
祈りのうちに手を挙げつつ、息を引きとり、帰天し、67歳の生涯を閉じました。

その日、2人の修道士が、1人は修道院内で、
もう1人は修道院から遠く離れた場所で、同じ幻を目の当たりにしました。
彼らは、モンテ・カッシーノから天にまで届く光の垣の間を、
巨大な絨毯のようなものが伸びているのを目撃しました。
そして、神々しい光に包まれた天使が現れて、こう告げました。
「これこそ、聖なるもの、ベネディクトゥスが、天に昇る道である」

3月21日 TRANSITUS SANCTI PATRIS BENEDICTI, ABBATIS
この祝日は、聖人の天上の誕生日(Dies natalis)として、聖人の帰天を祝います。

7月11日 SOLEMNITAS SANCTI PATRIS BENEDICTI, ABBATIS
この祭日は、現在の聖人の祭日、一般的記念日とされていますが、
もとは、聖人の聖遺骨の移転(Transratio)の祝日でした。

聖遺骨は672年までモンテ・カッシーノにありましたが、
モンテ・カッシーノがロンゴバルド人によって破壊されたため、
673年、フランスのオルレアンのフルーリ(Fleury)の大修道院長ムンモルス(Mummolus)は、
修道士数人を派遣し、聖遺骨を自分の修道院へ届けさせました。
この移転を記念する日が、7月11日でした。
現在この修道院は、サン・ブノワ・スュル・ロワールと呼ばれています。
サン・ブノワ(Saint Benoit)は、聖ベネディクトゥスのフランス呼称です。


ヨーロッパの保護者

1964年12月24日
パウルス6世教皇は、聖人についてこう語り、
そして、聖ベネディクトゥスを「ヨーロッパの保護者」として宣言しました。

「聖ベネディクトゥスは、
 キリスト教文明の光となり、
 かつて暗闇を駆逐し、平和の賜物を輝かせましたが、
 今もなお彼は、ヨーロッパ生活に君臨しており、
 彼の取り次ぎによって、文化はさらなる発展を遂げ、
 ますます拡大してゆくことでしょう」

聖人が養成した修道士たちは、フランス、ドイツ、イギリス、
スカンディナヴィア、ハンガリーなど、各地に修道院を建設し、
その周囲に多数の街区を設け、福音を宣べ伝え、文明を促進し、
その地方の経済的中心として発展しました。
大地を耕し、豊かにし、あらゆる事業を計画的に発展管理させました。
また、学校、図書館、ギリシア・ローマの古典、薬学、芸術、
哲学や神学書の保存、バジリカからゴシック聖堂にまで至る中世教会建築、
教会音楽の傑作であるグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)、
シャンペン、有名なワイン造りなど、全文化を掌握していました。
各時代を通じて、聖人、福者を輩出し、聖性の宝庫となりました。


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O Sancte Pater Benedicte !


        あぁ、聖なる父ベネディクトゥスよ、私たちのためにお祈りください。
         死を迎える時に私たちに伴い、敵のあらゆる攻撃を阻んでください。
          私たち一人ひとりが、あなたの臨在の御保護のもとに置かれて、
          善い死を遂げて、永遠の過越にあずかることができますように。
                                            アーメン。

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大聖ベネディクトゥスへの祈り
Prayer to St. Benedict for a Happy Death
Indulgentia partialis


この祈り文については、教皇福者ピウス9世聖下により、1861年5月14日付けで、300日の部分免償が付与されたことがあります。


O beate Pater, gratia et nomine a Deo Benedicte,
qui angelicum tuum spiritum, erectis ad caelum manibus,
stans et orans in manus tui Creatoris felicissime commendasti ;
atque omnes, qui gloriosae mortis tuae
et caelestium gaudiorum quotidie te admonituri essent,
in suprema mortis luctatione contra omnes inimicorum insidias
strenue te defensurum promisisti :
custodi me, quaeso, gloriose Pater,
hodie et quotidie tua sancta benedictione,
ut a benedicto nostro Jesu atque a tua et omnium benedictorum societate
nullo malo valeam separari.
Per eundem Christum Dominum nostrum. Amen.



 あぁ、幸いな父、その名のとおり、神から恵まれたベネディクトゥスよ、あなたは両手を天に伸べて立ち、至福なる創造主の御手の中に、あなたの天使的霊魂をお委ねになりました。
 あなたは、あなたの栄光の死と天上における喜びについて、日々想いをはせる人々を、最期の死の闘いにおいて、敵の全ての偽りに対して力強く護ると約束なさいました。
 栄光に満ちた父よ、私をお守りください。今日、そして毎日、あなたの聖なる祝福をお与えください。
 私が、祝福されたイエズスから、またあなたから、そして祝福された全ての人々との交わりから、悪によって引き離されることが決してないようにしてください。
 その同じ私たちの主キリストによって。アーメン。



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O holy Father, St. Benedict, blessed by God both in grace and in name,
who, while standing in prayer, with hands raised to heaven,
didst most happily yield thy angelic spirit into the hands of thy Creator,
and hast promised zealously to defend against all the snares of the enemy
in the last struggle of death,
those who shall daily remind thee of thy glorious departure and heavenly joys;
protect me, I beseech thee, O glorious Father,
this day and every day, by thy holy blessings,
that I may never be separated from our dear Lord,
from the society of thyself, and of all the blessed.
Through the same Christ our Lord. Amen.





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