2018年 教皇聖下の祈りの意向
(7月から12月まで)
これらの毎月の祈りの意向に
『当月の喫緊の意向』が追加表明される場合もあります
7月 司祭たちと彼らの司牧的奉仕
司牧的働きにおいて、疲労や孤独を経験する司祭たちが、主との親密さのうちに、また、彼らの兄弟である司祭たちとの友情のうちに、助けと慰めを見出すことができますように。
8月 家族という貴重な宝
エコノミストたちや政治家たちによる種々の広範囲に及ぶ決断が、家族を人類の貴重な宝の1つとして保護するものとなりますように。
9月 アフリカの青年たち
アフリカの青年たちが、彼ら自身の国々で、教育や労働に積極的に携わることができますように。
10月 奉献生活者たちの使命
奉献された男女修道者たちが、彼ら固有の働きにいそしみ、貧しい人々、軽んじられた人々、自ら声をあげることのできない人々のうちに寄り添うものとなることができますように。
11月 平和のための奉仕の働き
愛をこめた言葉遣いや対話が、いさかいをもたらす言葉遣いに対して、いつも打ち勝つことができますように。
12月 信仰伝達のための奉仕の働き
信仰伝達のための奉仕の働きに取り組む人々が、独自文化に接する彼らの対話において、現在の状況に適した言葉を見出すことができますように。
フランシスコ教皇聖下
家庭に寄り添う教会
イエズスがそうなさったように、教会は
ジェネレーション・ギャップ、家庭内暴力、経済的困難、雇用不安などの
いくつもの家庭が抱える不安や緊張を理解し
旅の随伴者のように、彼らに寄り添います
心をくばる母親のように、教会は
私たちを愛して養われる神のうちに
揺るぎないものであることを、私たちに教えます
この『根本的な内的経験』、この『堅固な内的経験』は
人生で直面する全ての妨げや移り変わりにおいて私たちを助け
全ての悪を征服する善のうちにとどまらせ
私たちが聖人になることを可能にするものです
信仰は、家庭の中で伝えられるべきものです
私たち各々の限界を認めつつ、互いに助け合い
他者との喜びに満ちた調和における希望に向けて
開かれた心をもって祈るよう、私たちに教えてくれるものです
母親としての教会
福音においてマリアは、いつも『イエズスの母』として記述されています
彼女の母親としての優しさは
受胎告知の初めから、福音全体を通じて強調されています
この特質は、教会の教父たちによって
早期から注釈されていました
そして、この特質は、教会にも当てはめられていました
教会は女性的です
なぜなら、教会も、花嫁も、文法性が女性だからです
そして彼女(教会)は母親です
彼女は生命をもたらすからです
花嫁であり母親である教会
そして教父たちは、さらに進んで
あなたたちの霊魂もまた、キリストの花嫁、母親である、と述べます
この見解は、教会の御母であるマリアに由来しています
この見解のうちに、私たちは
教会の、この女性的特質を理解することができます
この女性的特質が教会に失われた時
教会は、自身のアイデンティティを失います
そして、単なる慈善団体やフットボール・チームに似たもの
全くもって教会ではないものとなってしまいます
重要なことは、教会が女性となること
花嫁としての特質、母親としての特質をそなえることです
私たちがこのことを忘れてしまう時
それが男性的な教会である時
この女性的特質なしには
それは、愛のない、豊かさのない、孤独のうちに生活する
古びた独身男性の残念な教会になってしまうでしょう
女性なしには、教会は、前に歩を進めることはできません
なぜなら彼女(教会)は女性だからです
そして、この女性としての特質は、マリアに由来するものです
なぜなら、イエズスが、教会がそうであるよう望まれたからです
母としての教会は
優しさという小道にそって歩んでゆきます
優しさは、抱擁、沈黙、注視の上智という言葉を知っています
それは、同情を抱くことを知り、沈黙することを知っています
教会のメンバーとなるこの道を生き抜こうとする霊魂や人もまた
それが彼であれ彼女であれ、母親のようなものとして
同じ小道にそって歩んで行かなければなりません
その時、その人は
優しさ、想いやり、微笑み、愛に満ちたものとなります
家庭の美しさ
『神は、創造の初めから、人を男と女に造られ
人は、父母を離れ、その妻と結ばれ
2人は1つの肉になる』
1つの肉
とても力強い御言葉です
家庭には種々の困難が生じていることは事実です
そこには、子供たちの問題、夫婦間の口論や喧嘩など
さまざまな問題があるでしょう
しかし、重要なことは、1つの肉のうちにとどまることです
そうすれば、あの問題、この問題、その問題も克服することができます
そして、その克服は
彼らの婚姻の秘跡のためだけのものではなく
むしろ、教会のためのものでもあるのです
秘跡はたしかに私たちの注意を引きよせます
「ごらん、愛することができるだろう」
そして、愛は、あなたたちの全生涯にわたり
あなたたちが愛のうちに生きることを受け入れるよう促します
喜びにおいても、悲しみにおいても
子供たちの問題があろうとも、自分たち自身の問題があろうとも
そうしたことがあっても、いつも前に進んでいけるように
病気の時でも、健康の時でも
どのような時でも、いつも前に進んでいけるように
これは実に美しいことです
男性と女性は、神のイメージと似姿のうちに創造されました
そして、このことから、結婚も同様に、神のイメージになりえるものです
このことは、結婚をとても美しいものとします
婚姻は、他の全ての人々にとって
静かな説教、日々の説教のようなものです
このことがニュースにならないことは、悲しむべきことです
新聞やTVのニュース番組では、このことをニュースとみなしません
カップルが、一緒に多くの年月を過ごすことは
なかなかニュースとして扱われません
スキャンダル、離婚、別居
これらが価値あるニュースとみなされます
時には、より大きな悪を避けるために、別居の必要もあるでしょう
神のイメージはニュースとして扱われません
しかし、これは結婚の美しさです
彼らカップルは、神のイメージであり、似姿です
そして、これこそ、私たちのニュース、キリスト者のニュースです
結婚と家庭生活は、容易ではないでしょう
忍耐は、カップルにとって
男性と女性の両方にとって、最も重要な善徳です
主が、教会と社会に
結婚についての、より深い、より美しい理解をもたらしてくださいますように
それによって私たち全てが
『神のイメージと似姿が、結婚のうちに現存している』という事実について
その真価を認めて、再考してゆくことができますように