司牧者たちによって引き起こされる害悪について
フランシスコ教皇聖下
私たちの兄弟を侮辱することは、その霊魂に平手打ちをくらわすようなものです
私たちは、他者を侮辱するために、創造性豊かなヴォキャブラリーをもっています
しかしながら、そのように侮辱を加えることは、罪であり、殺人と同類です
というのも、それによって、私たちの兄弟の霊魂と、その尊厳に対して
平手打ちをくらわすようなものだからです
自らが説教する内容と真逆なふるまいをなす司牧者はつまずきでしかありません
イエズス・キリストは
ご自身の教えに従わない司牧者たちによって
神の民の間に引き起こされる害悪について
警鐘を鳴らされました
このことについて
私たちは教会内でどれほど聞かされてきたことでしょう
そう、何度もです
しかし、あの司教、あの司祭、あのカトリック・アクションの男女は、
私たちに、これこれこのようにしなければならないと諭しつつも
彼ら自身が、真逆なふるまいをなすのです
このことは、民を傷つける、つまずきでしかありませんし
神の民の成長と前進にとって、妨げでしかありません
そのようなつまずきは、神の民を自由にしません
神の民は、そのような律法学者やファリザイ人の厳格さを見せられたうえ
神の民にささやかな喜びをもたらす預言者が訪れた際
彼ら律法学者やファリザイ人によって
その預言者が虐げられ、殺されるのを見させられるのです
その共同体には預言者たちの居場所はないのです
イエズスは、彼らファリザイ人たちについて、こう仰せられます
「私の預言者である彼らは
新たな息吹をもたらそうとしていたにもかかわらず
あなたたちは私の預言者たちを虐げた
あなたたちは私の預言者たちを殺したのだ」。
シエナの聖女カタリナおとめ教会博士
悪人の誤断と善人の忍耐の愛について
悪人の誤断と善人の忍耐の愛について、神は仰せられます。
「不義を行なう悪人は、みずからの悪徳のうちに、誤断に陥る。
私の業は、全て義であり、全て、愛と憐れみに鼓舞されているが、
彼らはいつも、これを中傷する。
私の独り子の業は、あなたたちも知るとおり、
この誤断によって、嫉妬と傲慢の毒によって、
悪口を浴びせられ、不当に酷評された。
『この人はベルゼブルの力によって、そのようなことをするのだ』
との彼らの発言は、彼らの誤謬と虚偽によるものである。
これと同様に、悪を行なう人々は、
自愛心、不浄、傲慢、貪欲、嫉妬に支配され、
その邪悪な判断に迷わされ、不忍耐におちいり、
みずからの犯した全ての悪によって、盲目の徒となりさがり、
いつも、私の業と、私のしもべたちとを中傷し、
私の愛する人々の善業を、偽善と称して断罪する。
悪を行なう人々の心は、腐敗で覆われ、その好みも悪化しているため、
善なるものを悪であるかのように見つめ、
みずからの乱れた生活が、正しいものであるかのようにながめるのである。
これが、不義であり、誤断である。
世は、そのために断罪されたのであり、
最後の審判の日に、断罪されるであろう。
私を愛する人々は、隣人に忠実に奉仕し、
その無知や忘恩さえ気にかけることはない。
時として、邪悪な人々から、
その善業を侮辱され、非難されることがある、
そのような時は、
私に向かって叫び続けて、その人のために聖なる祈りを捧げ、
私に加えられた侮辱と、その人の霊魂に及ぶ害悪とを悲しみ、
自分がその人から受けた侮辱を気にかけない。
霊魂の愛の甘美なしるしの中で、
特別にすぐれているのは、その忍耐の徳である。
これによって霊魂は、
柔和で汚れない小羊である私の独り子の跡に従うのである。
私の独り子は、愛の釘によってつけられていた十字架の上で、
『十字架からおりるがよい。そうすればお前を信じてやる』
とユデア人たちから嘲られても、
決して引き返すようなことはしなかった。
あなたたちの忘恩も、
私の命じた従順への堅忍を、妨げることはできなかった。
私の独り子の忍耐は、実に偉大であり、
わずかのつぶやきさえも聞こえることはなかった。
同じように、私の愛する子供たち、私に忠実なしもべたちは、
私の真理である独り子の、この教えと模範に従うのである。
この世は、時にへつらい、時に脅しを用いて、
彼らを、この道からそれさせようとするが、
彼らはうしろを振り返ろうとはしない。
むしろ、喜んで霊的戦場にとどまり、
十字架にかけられたキリストの貴い血に満たされて、酔わされる。
私のしもべたちのもつ隣人へのいつくしみは、
敵の憎しみにさらされても輝きわたり、
その広められた心の愛徳は、敵の妬みにさらされても輝きわたる。
なぜなら、彼らの憐れみは、
敵の残酷さにさらされても、なお彼らに対して憐れみ深いからである。
彼らの忍耐は、敵の侮辱のなかで輝いている。
忍耐は、全ての善徳の女王であり、全ての善徳を支配する。
なぜなら、忍耐こそ、愛徳の真髄だからである。
忍耐は、霊魂の諸善徳を証明するし、
それらが永遠の真理の上に築かれているかいなかを識別させる。
忍耐は勝利を収め、決して敗北することがない。
忍耐が戦場を去るのは、
永遠の父である私のもとに帰るためである。
私は、その全ての労苦に報い、
栄光の冠を、これに与えるのである。