スペインの神秘家、アグレダの尊者イエズスのマリア修道女院長(1602~1665.5.24)への私的啓示の書『神の神秘的都市(The Mystical City of God)』を少しずつ紹介していきます。
私たちの主イエズス・キリストの埋葬の後、 聖母は、最後の晩餐が行われたあの高間に戻られました。 聖ヨハネ、他のマリアたち、ガリラヤの夫人たちも一緒にいました。 聖母は彼らに心からの感謝の意を涙ながらに表し、 彼らが主の御受難中に耐え忍んだことや、主の生前に献身したことの報いを約束しました。 それと同時に聖母が、皆の召使あるいは友として奉仕することを告げると、 皆、この大きな恩寵を感謝し、聖母の御手に接吻し、聖母の祝福を願いました。 皆は、何か召し上がり、少し休まれるよう、聖母をいたわると、 聖母は仰せになりました。 『私の憩いと慰めは、私の息子である主が、死者の中から復活するのを見る時です。 あなた達は早く食事をするなり、休憩するなりしてください。 私は息子と2人きりになります』 聖母は、御自分の部屋で、御子の御霊魂が今何をなされているかを心のうちで思い巡らします。 聖母が初めから知らされていたことは、 御子の御霊魂が、神性との一致のうちに結ばれつつ、古聖所に降り、 その牢獄から、聖なる太祖をみな解放するということでした。 主がここに訪れると、 この暗い洞穴は、あたかも天国のように変わり、まばゆい光輝に満たされ、 そこに留まっていた聖なる人々は神を仰ぎ見ました。 彼らの長い間抱き続けた希望は実現し、 神に感謝し、神を崇め、ほめ歌います。 『屠られた小羊に、権力、富、知恵が、 名誉、栄光、祝福がありますように! 主よ、あなたは御血によって、 あらゆる部族、異なる言語を話す人々、諸国民の中から、私たちを救ってくださいました。 あなたは私たちを神のための王国とし、司祭とし、地を支配させてくださいました。 権力、支配、栄光は、主よ、全てあなたのものです』 次に主は、天使たちに命じて、煉獄で清めを受けている霊魂をみな連れて来させます。 人類に救いが保証されていることの宣言として、 彼らの罪は赦され、残りの罰は免除され、 彼らは義人たちと共に、神を仰ぎ見て輝きます。 王である主が来られたこの日、 古聖所も煉獄もすっかり空になりました。 私たちの救い主イエズス・キリストは、 聖金曜日の午後3時半から、復活される日曜日の朝まで古聖所におられます。 そして、主は、御自身の墓へ、諸天使諸聖人の王として戻って来られます。 墓の中では、大勢の天使たちが警護に当たっていました。 聖母は、何位かの天使たちに命じて、 御子の流された御血、御体から飛び散った御肉の破片、 引き抜かれた頭髪の全てを集めさせました。 天使たちは、喜びに溢れつつ聖遺物を抱き、 聖なる太祖たちは、主の御死去の際の傷だらけの御体を目の当たりにし、 私たちの弱さや悲しみを引き受けられた、人としての『御言葉』を改めて宣言しました。 彼らは、主の救いの御業によって、自分たちが栄光に導き入れられることをかみしめ、 聖なるものとされた人々は、全能の神に、 聖なるもののうちでも、至聖なる御方に、再び賛美を捧げます。 諸聖人の目の前で、 天使たちによって集められたあらゆる聖遺物は主の御体に結びつけられ、 主の以前の御体へと変えられ、 その瞬間、主の御霊魂がその御体に合わさり、 御体に不死の生命と栄光が与えられました。 主の御体は、埋葬時の布と香料(cf.ヨハネ19.40)の代わりに、 栄光の4つの賜物で包まれています。 つまり、輝き・受苦不能性・敏捷さ・精敏さによって、包まれています。 これらの賜物は、主の御霊魂の無限の栄光から流れ出て、御体の隅々にまで及びます。 これらの賜物は、御霊魂と御体とが結ばれた御子の人間性全体と、神性との一致のゆえに、受肉の瞬間から、その栄光化による自然的相続と参与により、 御体に賦与されるべきものでしたが、 私たちが功徳を積んで、私たち自身に栄光がもたらされる余地を残すために、 これらの賜物は留保されていました。 復活においては、主の栄光化された御霊魂と神性との一致にふさわしく、 これらの賜物が現わされました。 私たちの救い主の御霊魂の栄光を、人が表現し尽くすことができないように、 賜物について、私たちの言葉で、また例えをもって、 主の神化された御体の素晴らしさを表現しようとしても、 あまりにも不完全な記述となることは避けられません。 輝きの賜物は、 その純度において、水晶などでは比較しきれません。 その光において、まるで日中が夜のようなものです。 主の御体から放たれ輝いている固有の光は、 他のあらゆる光を、遥かに凌駕しています。 多くの太陽の煌めきを1つに集めたとしても、それらを越えています。 そして、被造物の全ての美を合わせても、 主の美しさに比較するならば、造られた美が醜いものにすら見えるでしょう。 創造された全てのもののうち、その美しさに匹敵するものは他に何もありません。 この美しさは、主の変容の栄光を遥かに越えています。 変容の栄光は、特別な目的のための一時的なものでしたが、 この賜物の栄光は、永遠性を帯びているからです。 受苦不能性の賜物によって、主の御体は、全ての作られた力に対して無敵になりました。 故に、いかなる力も、主を動かしたり、変えたりすることは、決してできません。 精敏さの賜物によって、 主の自然的御体が純化され、いかなる物質であろうとも、 その中を、あたかも純粋な霊のように、通り抜けることができます。 墓の岩をも突き抜けたのは、 御誕生の際、聖母の御胎内から通り抜けられたのと同様です。 敏捷さの賜物によって、 主の御体は、物質ではない天使たちよりも、もっと速く動けます。 そのため、使徒たちの所へも素早く出現されたのです。 神聖な御傷~主の御体の外観を損なったそれら~は、 今や、主の御手と御足から、素晴らしい光が放たれ、 その光輝く御傷は、恍惚とさせる美しさと魅力の極みを添えるものとなりました。